なんで、みんな無修正を見たがるんだ?

            

中学生・小学生のマンコ

このような傾向に苦言を呈する

全裸の小学生のパイパンや中学生のマンコを見たがる人がいるらしい、けしからんことだ。
まずこのワレメの画像をみたいとのことが感心できる行為ではないことは、ここで新たに述べる程でもないということは明らかだ。
「マンコの映った全裸のDVDを見たい。」実は私もこれについては完全に否定するほど野暮ではないつもりである(笑)。私は年がいってれば原則的には誰でも1度は考えてみたことがあるのではないかと思うのだが、皆さんどうだろう・・・。
こういうことに関して私は、大変な嫌悪感を持っている。したがって、話はじめた途端に侮蔑の意味が込められた文がずっと続いてしまうかも知れません。「パイパンを眺めたらクリトリスがはっきり見えた。」こんな言葉をねっとで見たことがあるが、まさしく目を覆いたくなるような気持ちになってしまうのです。
まして、中学生のマンコを見たいとか小学生のパイパンが好きだとかいうのを聞くたびに本当にこの世はどうなってしまったのかと心底この考えには同意できないのである。たしかに心のどこかにこのようなパイパンの動画をみてみたいという気持ちがまったく無いといったら、大うそつきだと弾劾されてもそれに対する反論を言い続ける根性は私にないかもしれない。このことについては、ひょっとすると一部分的には賛成することになるような気がしてきた。それほどこういうものには、とても強い魅力があるのも確かなのである。
そしてワレメの動画を見たいという気持ち抑えるためになにが必要なのだろうか、また本来の普通の気持ちを保つためにはどうすればいいのかを普段生活してるなかでも常に考えながら日々を送らなければならないと思うのです。いや常に考えていなければ、この誘惑に負けてしまうと言い切ってしまっても異論は無いだろう。
いろいろな見解があるでしょうが全裸の露出があまりにも多いことが問題を大きくしていると思うのです。ただのやらしい奴が多いためそのようなものが増えてしまったのだと解釈してもそれは、それで正しい一面かもしれませんけど、またそういうものが、その類の人を増やしているのではないかとの考えは成り立たないだろうか・・・・。
「全裸を見たがる側のひとにはいろいろな事情があることでしょう」と言ってしまえば、「何をおっしゃる。見せたがるほうにもいろいろな事情があるのだ。」と言い返されるかもしれない。果たして見たがる方が悪いのかそれとも見せるほうが悪いのか?
パイパンの隙間にみえるクリトリスを見たいという欲望の投射がみせる側を誘惑者にしてしまうという懸念は常について回る命題だと思うのです。誘われるからそれをしたい気持ちを喚起するという方向も間違いなくあり、欲と誘いは双方向的なものであるというのが 正しいのではないかと思います。
現実的な視点で物事を見るならば無毛のパイパンは確かに美しいかもしれないというのが率直な解釈であろう。やはり汚いものより、すっきりしたものに惹かれるのは、当然であり、若いほうが綺麗なのも当たり前なのである。そのようなことから導き出されることは、こういうものに興味を持つのは自然なことかもしれない。
だがここで一つ言いたいのは、小学生のマンコの画像を見たいのと、ただ単にワレメをみたいとは、その意味は大きくちがうのです、前者の気持ちは間違いなく否定されるべきである。後者をみたいという気持ちはわからないでもないかもしれませんが、一線を越えた好奇心を野放しにしておくことは、自分の良心に鑑みても、決して許される物ではないのです。だからといって具体的にどうしたら良いかは今のところ考えは纏まっていません。
願望は誰にでも常にあることは、自分だってそうなのだから否定することはできません。ともかく自己の正義感が試されているのが、現代の状況なのではないでしょうか。いろいろな誘いがある中で、境界線を行ったり来たりしていても、最後にはだめな物はだめだと否定しなければならのだろう。

小学生のマンコ・中学生のパイパンが丸見え !